<< FIPS183検索の勧め | main |

ミノルタのDNA

 昭和60年2月ミノルタα7000が誕生しミノルタは世界の第一人者になった。
そのときの話を1月10日元ミノルタマン(技術者)から入手した。
私にもこのDNAがあるはず、と思った時沸沸と力がわいてきたような気がする。

商品開発の責任は誰よりも開発技術者にあるはずだ。厳しすぎるかもしれないが営業に、ひいては経営者に企画を取り上げさせることができなかった技術者は、商品開発者ではなく、メーカーの便利大工的技術者にすぎなかったのではないだろうか。その枠を出なかった責任を他に転嫁させることは許されない。私にはミノルタの技術者が他社よりも恵まれた状況にいたとは到底思えない。むしろ画既的な反発力が必要だった市場での苦しさに恵まれていたと考えるのが正しいかもしれない。社内の葛藤を克服し、血を吐く思いで戦いを勝ち抜いた技術者の責任感は、先ほどのぼやき(後述)とは天と地ほどのへだたりがあると思う。
螢瓮ぅ謄奪相談役神尾健三MINOLTA TECHNO REPORT No.7 1990より
●先ほどのボヤキ
「アルファはライバルが出した素晴らしいカメラとは思いますが、殆ど同時期に私たちもほぼ同じカメラの開発を企画していました。だが当社の営業が取り上げず、企画がホゴになったのが残念です・・・と言う。
2014.1.14 稲次信男(イナジノブオ)

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>
selected entries
archives
recent comment
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM